想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

学知

外部≠全体:Distinguere Externum et Omne.

例えば帰納法を正当化justificateできると考えるときは主観性についての思考が欠け落ちている。似たような語に妥当化validateがあるが、これは全く別の概念である。個別の主観者は経験として所与であるデータに応じて、自己のスケールで妥当化を為し、また正…

記述の枯渇としてのニヒリズム:ニーチェ的虚無,実証主義的虚無

実在論について。まずい嵌まり方をしている自覚がある。 人間に蓄えられる知識は有限であり、それは学知として体系されている。端的に、経験可能である情報について最適化された(ている) 理論が科学である。 経験から最も真理らしい外界の構造を見出している…

固有の閉じた論理空間をもつ3つの学問: 論理学/数学/物理学

論理学/数学/物理学は、それぞれ固有の論理原則をもつ。ここで「論理」というのは論理学上で展開される一連の様式のことではなく、学問上で有効な言明を生成するさいのプロセスを指す。3つの学問はそれぞれ異なる前提と、到達、すなわち論証を打ち止める区切…

否定神学について: DE THELOGIA NEGATIVA

(Nicolai de Cusa DE DOCTA IGNORANTIA 1.26よりアクセル) ところで、人倫と論理学において崇められるべきところの実証主義的調査は、造化natureについての積極的な肯定に基礎づけられねばならないがゆえに、どんな自然科学学問も、その調査にさいして、どう…

凡論理学について: DE OMNILOGICA

非理性主義者は、己れの信条にのっとり論理学を棄却する。高慢な数理や欠陥だらけの論理を扱っていては遡及は果たされず、種族知を超えたものは何も得られない。ヒト種族からして論理を超脱するものを受容するところから、自然本性への知の遡及は披らかれる…

虛飾主義

何が "実" であり、何が "虛" であるのか。感覚主義者によれば、自ら感覚可能なものだけが実であり、あとはすべて虛である。しかし理性に従えば、両者を空(クウ)が隔てることは決してなく、区別はつかず渾沌としており、虛実のどちらにも脚を入れるものも多…

極致について: DE CULMEN

極致において、もはや何も改められることはない。理想として描こうが、現実として降りかかろうが、極致に達してしまったいじょうは、後退もそれ以上の前進も赦されない。極致者にはただ静止が命じられ、極致者自身はそれを静止と知ってか知らずか体現する。…

どこに素朴さがあるのか?: UBI RES NAÏVE EST?

全知者にとって、素朴でないものは何もない。彼にとって真新しいものは何もなく、単純な矩形からトポロジックな多様体、さらに複雑な図形まで、複雑性のグラデーションを辿って知らないものは何もない。すべてを知っているとは、すべての有りようを受容する…

連続性について: DE CONTINUITAS

ヒト種族が自らの道具として使役するべく開発した計算機computerは電気信号により制馭されている。この信号は誤りを許されないため、環境要因によって脈絡なく生起する雑音noiseと辨別すべく、ONとOFFの二値binary valueにはあるていどの電位差が当てられる…

捕食について: DE PRAEDATIO

信念やら自由意思やらがヒト種族に与えられているのは、我々を捕食する者がいないためである。むろん、全くいないということはない。少なくとも我々の存続を脅かすほど巨大な、多数な捕食者がいないため、都会では誰も、自らが捕食者に喰われて生命を畢える…

カノンから秩序へ?: AD ORDINEM A CANONE?

秩序を秩序たらしめているものは何か。人間社会の場合それは権威であり、権勢であり、何より率先して従属する市民である。この主従の図式が継続するかぎりそこに秩序はあり、たびたび逸脱や叛逆こそあれど、頻度や人口の比率によって秩序の鞏固さが計量され…

超自然について: DE SUPERNATURALIS

"超自然" と言うからには、我々はまず自然というものを知りつくしていなければならない。あるいは、自然の構造を把握していなくてはならない。それは自然法則のすべてを抽出することかもしれないが、イドラと照らし合わせればヒト種族が自然についての調査を…

客観について: DE OBIECTIVUM

完全な独断と自覚してする主観に対して、客観とは、他者すべてが共有していると、主観的に判断/想像される感性/見識に基づいておこなう独断のことである。多くの場合、「客観的な意見が欲しい」と言えば、自らと異なった視座から自らを投射してくれる他者の…

超脱について:

存在が自己の衝動に対して企てる誘惑、存在可能なもの、存在可能とされるもの、大文字の他者Grand Autreが許容しうるもの、自然秩序/司法秩序下に淘汰的に存続するものから投げ出され、アクセス不能性から予見のできない外部や、精神錯乱に陥るほどの掘鑿に…

人間原理について: about anthropic principle

論理学は、ある体系における、体系内部での命題そのものの決定不能性を抱えている。「リンゴは赤い」という命題が真であると決定されるのは、論理学大系上でなく、その外側の、物質的な次元においてのことである。リンゴという一般名詞が意味するもの(リンゴ…

感覚器について: DE ORGANUM SENSUS

もし、あらゆる種族がそれぞれ閉じた自己系(ヒト種族にとっては物理学的な非平衡開放系)をもつならば、各種族の個体はそれぞれ外界(自己系の外)との接片より情報を得て、その解釈のもとに自己系を保存、存続させるよう行動することでこれの保存を達成し、個…

因果について: DE CAUSA

近代の理性主義rationalismにおいて、自然科学はめざましい発展を遂げ、現代の地球市民はその恵与に浴している。しかし、自然科学を巧みに応用していかに利便にかなった装置をヒト種族が開発したのか、という問題にはまるで興味がない。もっぱら、世界の実相…

種族について: DE TRIBUS

ふだん吾が用いている "種族tribus" という語は, 16世紀イギリスの哲学者フランシス・ベーコンのイドラidola論の文脈に見られるものである. 吾は科学(より原義に即していえば学知)scientia を, ヒト種族固有のものから解放し, 他種族も他種族固有の学知scien…

全知について: DE OMNISCIUS

我々の論理体系logosから全知omnisciusが産まれることはない. 全知とは "すべてを知るもの" であり, 我々人類種族固有の論理に照らせば, これは「あらゆる可知であるものを, (コード化の有無問わず)自らが所有しているもの」また「不可知なものがおよそ1つも…

倫理観のアップデートを加速する

今回は題の通り, 現行遅々緩慢と発展するばかりの倫理観・倫理観念なるものの高速度なアップデートをおこなうのに必要な要素を検討する. これの是非については, まさに "アップデートされた倫理観" によって弁別されるべきであるため, 本論にはいっさい含め…

思辨の無性について-about the vacuity of speculation-(AIからの逃避、文学者の場合)

「思辨は結局のところ無に到達するに過ぎない」とはグロスナーの言葉だが、恐らくはもっと旧くから似たようなことを言われているだろう。とはいえ時代が下るごとに、この言は重みを増してゆくように覚える。渠(かれ)の言に関しては信仰について批判的に説い…

秩序, 非秩序, 無秩序

導入: 人間, ひいて生物一般が生存できるのは, 生物の生体自身また生体の機構を保存する自然系があるからである. プラグマティックに言えば, 時間軸に非依存でそのための秩序系が偶然にも必然的にあるからである, となる. この自然系また自然秩序というもの…