想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

全知について: DE OMNISCIUS

我々の論理体系logosから全知omnisciusが産まれることはない. 全知とは "すべてを知るもの" であり, 我々人類種族固有の論理に照らせば, これは「あらゆる可知であるものを, (コード化の有無問わず)自らが所有しているもの」また「不可知なものがおよそ1つもないもの」こそが全知である.

しかし我々の論理規則上では, この全知, 万物の收集者を主体化したときに矛盾に衝きあたる. たとえこの收集者が「自身に可知であるもの」をすべて把握comprehensioしあつめてみたところで, それが存在する一切, 一切を内に所有するという普遍な意味での世界universusそのものと外延を等しくするか否かを, 收集者自身はこれを判定することはできない. つまり, 人間種族の論理に照らして真偽を決定することができない, 判定不能/決定不能の問題なのである. もしこれを決定しようと企図すれば, 收集者は一切世界の外側に存する, いわばメタ判定者の出廷を要請せねばならない. というのはつまり, 收集者があつめたものomnium complicatioと, 世界の一切万物universaとが一致するかというのは, 收集者の存する体系の外にいる者にしか判定不能だからだ.

しかし判定者が存在した時点で, より純粋naïveな世界はその枠がもう少し大きかったことが明らかになり, 收集者が全知でなかったことが発覚する(もっとも, 收集者自身はそれが開披explicatioされたことを知らないが). ここに人類種族tribus hominiの論理では決して打ち砕かれない断崖が, 我々のみならず, 人間とは別種の存在のしかたをする存在者についても同様に, 全知可能性を永劫に否定してしまう. 本来, その者が全知であると証明不能であることは、その者がじっさい全知でないことと相関関係をもつのみであるのに, 因果を見出す道具を, 悲劇にも我々は所有しない, しえないのである.


とはいえ一方で, 我々の論理体系とは異なる, 別種族の論理体系においては全知が産まれえるということだ. 全知と似たような, あらゆる作用のしかたで一切万物に干渉できる全能omnipotensも, 永遠に存在性entitas esse保有する不死も, それらの体系では実現しうるし, 我々には想像もつかない, より完全へ漸近する完成する者ens perficiens, あるいは完全そのものipsum perfectumも, 始源のない永遠性aeternitas sine principioも産まれえる.

全知の存在可能性posse esseを覓めるには, 論理の超脱extensioが要請される. いったいぜんたい, メタ判定者がいなければ碌に自己の体系を補完できないような, そんな不完全な, 縮限されたcontractum人類論理体系に, 汝はいつまで拘泥するというのか. 真に完全者を欲すれば, まずは爾来の体系に背馳することだ. それは智を堕落させる愚行かもしれないが, 智はそもそも無智の闇の内にin tenebris ignorantiaeしかない.

Intellectus omniscii magis accedere ad nihil quam ad aliquid.

 

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