想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

種族について: DE TRIBUS

ふだん吾が用いている "種族tribus" という語は, 16世紀イギリスの哲学者フランシス・ベーコンのイドラidola論の文脈に見られるものである. 吾は科学(より原義に即していえば学知)scientia を, ヒト種族固有のものから解放し, 他種族も他種族固有の学知scientia を所有するものと見做して, これを一般化したく, "種族" なる語を用う. ベーコン卿は著書『NOVUM ORGANUM』において以下のように種族のイドラを声明する.

XLI. Idola tribus sunt fundata in ipsa natura humans, atque in ipsa tribu seu gente hominum. Falso enim asseritur sensum humanum esse mensuram rerum; quin contra, omnes perceptiones, tam sensus quam mentis, sunt ex analogia hominis, non ex analogia universi. (...
種族のイドラは, その根基を人間性そのものに, 人間という種族または類そのものにもっている. というのは, 人間の感覚が事物の尺度だという説は誤りであって, それとは反対に, すべての知覚は, 感官のものも精神のものも, 宇宙になぞらえてでなく, 人間になぞらえてつくられるからである. (服部英次郎訳)

ヒト種族の内面に写る世界(よりnaïveには外界)とは, その時点で我々の本性によって歪められているのである, というのはヒト種族のもつ論理体系からして自明のことだ. 我々が外界より受け取る情報量そのものが, 外界に存するすべてと外延を等しくするか否かという問題には閉口するよりなく, 我々の無力さをかんがみれば, むしろ我々は, 我々のもつ情報量の尠なさを歎き, 愧じなければおかしい. 世界本性natura universi の情報量が完全なものとし, これを1と仮定すると, 我々がここから受け取る情報量はいつも小数点以下であり, これは何もヒト種族にかぎったことではなく, 全知でないかぎり他種族にも同様で, 他種族はその種族固有のイドラをもつため, その種族の内面に写る世界は, その種族の本性によって歪められているのである.

 

引用について, ベーコン卿は上に続けてこう述べている.

XLII. ...) Estque intellectus humanus instar speculi inaequalis ad radios rerum, qui suam naturam naturae rerum immiscet, eamque distorquet et inficit.
人間の知性は, 事物の光線をまともにうけいれない, でこぼこのある鏡のようなものであって, 事物の本性にそれ自身の本性をまじえ, 事物の本性をゆがめ, 変色させるのである. (服部英次郎訳)

吾のおこなう自然科学の一般化において, あるいは卿の時代から5世紀を経て刷新された近代感覚と照らして, 歪み(distorquet)や変色(伝染 inficit)はややアナロジーanalogy の感が拭えない. というのは, 生物学的な機構organum からして, ヒトが世界本性のありのままの姿を捉えきることは不可能だからである. この節は, 不足inopia や欠損lacuna に読み替えられるべきだ.

 

吾が "イドラ" と言うときはたいてい種族のイドラを指すが, これというのは, 他3種のイドラ(洞窟specus のイドラ, 市場fori のイドラ, 劇場theatri のイドラ)はすべて種族のイドラに従属しているからである. 他種族を引き合いにだして科学知scientia を一般化するいじょう, もはやヒト種族のみを取りあげて主観い据えおくことはナンセンスであり, この3種はすべて種族のイドラに還元することで, 吾は種族のイドラを単にイドラと呼ぶ.

 

ここまで読めば即座に納得いただけようが, "種族" でなく "種属" と表記しないのは, 後者がヒト種族における科学上の分類学的な意味合いを帯びかねないからである. "種族" の表記は, 我々の言語体系上では民族性とか人種といった差異を包含するが, より汎化をおこなえば, ヒト種族に固有な感覚器官をもって測れるもの, 民族性による固有な価値感覚をもって搦めとられるもの, というのはリアルとイデアルの差異こそあるものの, 本質的には同質のものと認められるため, このていどは許容できるだろうという打算に基づいている.

 

以上のイドラの実践により, 認識論まわりはすべて片付くものと吾は考う. エピステーメーἐπιστήμη に関する学問とは, ふつうには我々ヒト種族の認識や知識がどのように形成されるかを自省(解剖でなく)によって探究するものであるが, 科学の汎化をおこなうには, 内界ばかり見ていても成果はあがらない. 啓示Revelation など特異な体験を除けば, 凡種族というマクロ視座で, ヒト種族に一箇固有と見做せる知識一帯は, すべて世界本性natura universi がイドラにより欠損を蒙った, 小数点以下の残骸によって形成されるのであり, 形成された, ごく僅少なものについて更に細分化を加えるような行為は徒労でしかない. 常に, 外へ外へと目を向けることだ.


Scientia et potentia humana in idem coincidunt, qua ignoratio causae destituit effectum.  /Lord Bacon

 

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