想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

客観について: DE OBIECTIVUM

完全な独断と自覚してする主観に対して、客観とは、他者すべてが共有していると、主観的に判断/想像される感性/見識に基づいておこなう独断のことである。多くの場合、「客観的な意見が欲しい」と言えば、自らと異なった視座から自らを投射してくれる他者の存在を欲求し、何かの意見に対して「それは客観的だ」と言うとき、それは無個性でつまらないドクサと認めるに等しい。

科学をおこなう場合、客観はやや普遍性を帯びる。というのは自然を解剖する手法を全科学者で共通していることもそうだが、完全な学識というものが個々人を超越して一箇に体系としてまとめられてあり、それを論理的に打破しえないということだ。科学者は科学者の体系に留まるかぎり、つまりヒト種族が伝統的に信奉している論理学大系を鵜呑みにするかぎり、科学的知見に罵詈を浴びせることは叶わない。体系に背いた者は非科学者のレッテルを貼られ、淘汰されるのみである。

科学大系がもつ客観に、もし人格を与えてやるとすれば、この学識の巨人はじつにヒトらしい感覚器と脳構造をもつだろう。誰よりもヒトらしく、ただ学識が書物なりデジタルデータなり脳ミソなりに書き込まれて継承されるかぎり不滅であり、ヒトよりずっと巨大な記憶容量と、ヒトの活動領野全域で稼働するスーパーコンピュータぶんの演算能力を有するだけの図体をもちあわせているものの、ありようはヒトそのものである。他種族の干渉を受ければ、この巨人も苦悩するだろうことは容易に想像にかなう。

個人レベルの客観がしょせん主観にすぎないように、人類レベルの客観もまた種族の主観にすぎない。

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Incarnatio (spinaltox)

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