想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

超自然について: DE SUPERNATURALIS

"超自然" と言うからには、我々はまず自然というものを知りつくしていなければならない。あるいは、自然の構造を把握していなくてはならない。それは自然法則のすべてを抽出することかもしれないが、イドラと照らし合わせればヒト種族が自然についての調査を終えるというのはおよそ幻想に過ぎない。その幻想の枠組みのなかで、ヒト種族どうしの合意としてのみ「人類は自然を知悉した」と宣言するのであればそれも結構だが、自然の斉一性が打ち破られる瞬間をヒト種族は想定しえないし、対処することもおそらく叶わないだろう。

ヒト種族主観によって凝り固まっていない、もう少し種族一般の客観に漸近する視座からは明らかに、"超自然" などという語を使いたがる人間は暗愚である。自然への知識は世界本性natura universalisの部分でしかなく、その部分にすら疎い。このような人種は独断的dogmaticな理性主義者らしい。ヒト個人のもつ理性の力能が世界本性について知るに足ると踏み、かつ性急にも自己の知識を完全と見て独断する。

たとえ理性主義者の思考過程に則ったとしても、魔術や呪術の及ぼすらしい力を超自然力と断定することはできない。科学大系の枠組みが誤りであるほうがもっともらしいし、何より演繹するだけの証拠がそろわない。真に「自然を超越する」にはまず自然というものの可能性potentialを完全に度すことであり、それはヒト種族の理性の担える負荷なのか否か今一度考慮すべきだろう。侮蔑語として用いよう者はまるで救えないが、理性の活動を停止して自然を讃歎に暮れる者も同様である。

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接触の形而上学 (spinaltox)

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