想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

どこに素朴さがあるのか?: UBI RES NAÏVE EST?

全知者にとって、素朴でないものは何もない。彼にとって真新しいものは何もなく、単純な矩形からトポロジックな多様体、さらに複雑な図形まで、複雑性のグラデーションを辿って知らないものは何もない。すべてを知っているとは、すべての有りようを受容するということだ。自らにとって居心地わるく思える存在者/存在物はおよそありえない。

素朴でないものとは、そもそも何なのか。飛躍したもの、逸脱したもの、複雑にすぎるもの、違和を感じるもの、云々は、いかにも素朴でないらしい。そう感じるのは我々の知識が偏っているからであり、その偏りが対象を親しみやすく感じさせたり、そうでなく感じさせるとすれば、素朴さはじつに主観による。

主観的に何かが素朴naïveだと思うだけで、客観的に素朴なものは何もないのだろうか。近代の理性主義のように「理性に扱えないものは素朴でない」とする断定は、いかにも人間中心主義humanism的でいけない。共通した思想/価値観を共有する者どうしのあいだでしか、この認識は遍満しないのだろうか。

以上に見るような素朴さとは、ただの親しみやすさであり、自らに従属させやすい度合いの指標にすぎない。素朴でないものを撥ねつけることは、かえって自らの無知をさらすことだ。論理的に正しいことを「自明だ」と感じて受け容れ、論理に反したものを「欺瞞だ」とつっぱねることは、ヒト種族主観を共有している内輪では通るとしても、その外を見ようとするときには無用な先入見となりうる。絶対不変の秩序の下で生きていると思うのはヒト種族固有の感情かもしれない。

 ↓Kindle Unlimited にて小説/散文詩頒布中↓

龍の血 (spinaltox)

龍の血 (spinaltox)