想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

理性主義と合理主義: among the rationalism

辞書というものは当てにすべきでなく、何事も自らの地平で量ることが肝要である。言語、とくに語彙に関しては、そのものはただ器にすぎず、その器に溶液を注ぐのは己れ以外にいない。

rationalismには文脈によって二つのスタンダードな訳し方がある。「理性主義」と「合理主義」がそれだ。合理主義はわりと日常で目にすることがあるから、何か目的について自らの感情を度外視した手段を的確に積むことでこれを達成しようとする、ようなことだと察しがつく。一方前者の理性主義の方は、同じ単語の訳語なのだから似たようなものだろうと推量するといけない。

日本語の訳語体系上において、「理性」という語は伝統的に、やや形而上学的な、人間の精神要素を指す。神学から聯綿と脈を伸ばす西洋哲学の大系において、理性rationとは神の摂理を感得しうる唯一の素体に他ならない。今日発達している科学大系が実証しているように、現世は無瑕の、壊れるはずのない自然秩序にめぐらされて成立している。この大いなる秩序の実体について知解するのは理性にしか赦されない、とされている。ラテン語でpositiviusは「神により据えられた」と意味する通り、あらゆる実証的positiveなものは、人間(科学者)によって実証された秩序が権威をもつのは、現在でこそ秩序そのものについて抽出して考えるが、伝統によれば絶対者の存在を感じることに他ならなかった。曲解して言えば、絶対者の存在を感じたいがために人間(科学者)は自然を観察し、そこに秩序を見出してきたのである。

往々にして吾が「理性主義」へ言及するときは、上の通り「合理主義」という意味とは離れている。そしてまた現代の実証主義positivismさえも、無神論的atheisticであるからといって手放しに認容する態度を吾はとらない。ヒュームに言われた斉一性原理を暗黙裡に了解する、サイコロを振ると1~6の目が出る現象しか観測されることはないと不文律に前提される、今日の科学大系への不信感のためである。渠らの理性はじつに素朴であり、つまりヒト種族主観に従順だが、この人間中心主義humanismを脱して主観を種族一般に移したとき、これまでの実証科学はただ特殊事象に留まる。より汎化な秩序の発見を志向するには、現様の実証理性から脱却することを要請され、それは現代の理性主義者、つまり無神論者であり実証こそ真の理性だとする科学体系の信奉者であるところの実証主義者からすると、ただ素行不良の非理性主義者に映るだろう。しかし科学者もまた斉一性原理を教義にもつ一宗教者に過ぎないからには、我々と対等の立場に立つということを無視してはならない。

Kindle Unlimited にて小説/散文詩頒布中↓

 

アンチマテリアリズム (spinaltox)

アンチマテリアリズム (spinaltox)