想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

創造的アナキズム論: Creative Anarchism

ソースコードを無償で入手でき、自由な再頒布が利き、派生物に同等のライセンスを賦与できる、といったオープンソースのものは、じつに創造性を加速させている。ここで言う創造性とは、紀元前より人類が地球を開拓してきた創造性とまったく同義である。

これはまだまだソフトウェア界隈の運動に留まっているが、我々はいわゆる物質的な現実空間に存在しつつも、分人dividuel的に、多重化/多層化される形でネット/電脳空間にも現状居住している。物質空間は土方の人々を始めとする建設業の人々の尽力によって、またその出資者たる国家によってインフラが整備され、開拓がなされたり居住性が向上したりする。これと同様に、回線/物理パスを電脳空間上の道路と見立てたり、事実上ネットの間口である検索エンジンなどを電脳空間上のインフラと見れば、物質空間のインフラは税金によって、電脳空間のインフラは企業の経済活動(プロダクト/サービスの提供)の利益によって、それぞれ創造される。ここでオープンソースソフトウェアは、電脳空間に対してインフラ整備に用いる機材を無償で供給している、として間違いない。やや飛躍して、個人の資産でインフラが整備されるようになれば、それは立派にアナーキーが体現されていると言えよう。

電脳空間は現状すでに無政府状態anarchyである。警察権力の介入を許しているものの、渠らもまた一般の人と同じようにネットに接続して捜査をするよりないからである。電脳空間と物質空間を対等に見たとき、電脳空間を実質的に統治しているのは諸企業や諸個人である。一つ注意が要るのは、この "統治" という語はアナキズム的に使用しているため、法整備を敷いて司法を機能させ~というような国家統治のそれとは決定的に異なる。アナキズム的統治とは国家独裁を許さない、一種の直接民主制的な分散型の権力体制であり、個々人がそれぞれに裁量をもち、そしてその裁量はそれぞれ所有するソフトウェアツールにより肥大する可能性がある。これはむろん、司法まわりに限った話ではない。

我々は民主主義体制から無政府主義体制の過渡期にある。マキャベリを引いて言えば、君主制→貴族制→民主制とめぐっていた政体循環論がついに発散を起こして国家を棄却するのである。忘れてはならないのは、これはテクノロジありきにのみ成立するということだ。前時代のイデオロギたるコミュニズムユートピア思想が失墜したのは、端的に言って農業生産を人手にゆだねるよりなかったからであり、もし我々が電脳空間で始まったオープンソース運動を物質空間に適用しようと思うならば、機械的に農業をおこなうインフラシステムの無償提供をおこなわねばならない、というのは考えるまでもない。

前世紀でアナキズムと言えば、誰が殺人や暴行をおこなおうと野放しになる破壊的な側面しか見られなかったが、テクノロジの加速によって創造的な側面を大いに見られるようになってきている。創造的無政府主義は、民主主義の次なる発展段階としてじつに有望である。

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