想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

散裂 に関する加速論的プロトタイプ:覽Rann

preface: ディープラーニングによって規格化が進む言語基体に対して、この支配性・一般性を粉砕することを目的とするのであるから、それは闘争に他ならないだろう。"それ" とは、散裂でも他の手段でもよい。

 

前項↓ に引き続く。今回は、散裂(圏)措定のための関連概念(其ノ壱)の実装をおこなう。

spinaltox.hatenablog.jp

 

(eXtity) ⵚⵟⵁⵅⴾ\hyperspace\Ontology >> 加速する存在論上にて

あらゆる もの=対象=オブジェクト は流動である。

流動とは、対象および作用の混淆である。両者は単一の(あるいは幾つかの)文脈上で区別/辨別されるが、可能である総ての文脈がリアルタイムに 交錯する=超構造される 超曲面上でそうすることはできない。ここで「可能である」とは種族における本来的な制限を考慮したものであり、未発見のものを当然に含む。

「不可能である」ことの例としては、当該種族において知覚不可能であるものについて、確定した経験的知識についての操作が挙げられる。

 

相互作用それ自体も1つの対象である。例えば物理空間上で、対象の観測の副次としてこれを観測しているわけではない。観測自体が1つの相互作用であり、プロセス数は同等である。

とはいえ、プロセス数の差異が対象-作用間で有意かといえば、すべての文脈でそうであると言うことはできない。

 

あるスケイルにおいて単一と見做せ、また別のスケイルにおいて複数の流素(離散or連続or...)の集まりと見做せることから、流動とは1つの圏である。しかしながら加速する存在論上では、あらゆる圏が流動である。eXtity系の記述をおこなうための相対論性/マルチスケイル性であり、これは対象(object)と作用(action)の区別をせずに、対象=作用=圏(category) として包摂することで出発したためである。この点で流動とは、加速する存在論系におけるすべての圏が具える特性と見ることもできる。

体性感覚的に、圏は靄に近い。観測者が立脚する単一スケイルの水面下にて、無数の作用に曝されているためである。

 

加速する存在論上で、存在論の構築者=観測者はそれまで立脚していた単一スケイルを抛棄することなく、新たにスケイルを獲得し、同時的に複数のスケイルに立つことが可能である。こうして超曲面上に浮上するマルチスケイルの観測者を "" と呼ぶ。

覽Rannとは能動性を獲得した観測者のことである。ここで "能動性" とは、何らかの対象への超構造的操作が可能であることである。

entity系と異なり、複数スケイルに跨がるため、対象について俯瞰することが困難or不可能である。そのため、単に "操作" と言う。entity系にて、単一スケイルによって系中すべての対象のパラメータを確定することが "俯瞰" であるとすれば、eXtity系においてもこれは可能である。

操作とは作用の1つであり、種族内(inner-tribus)において個々体に差異が生じるものを指す。