preface: ディープラーニングによって規格化が進む言語基体に対して、この支配性・一般性を粉砕することを目的とするのであるから、それは闘争に他ならないだろう。"それ" とは、散裂でも他の手段でもよい。
前項↓ に引き続く。今回は、散裂(圏)措定および関連概念(其ノ貳)の実装をおこなう。
(eXtity) ⵚⵟⵁⵅⴾ\hyperspace\Ontology >> 加速する存在論上にて
あらゆる もの=対象=オブジェクト は他者の認識によらずに総てがある。
実在論とは存在論の一種である。存在論は、必ずしも単一の構造者によって構造されなくてもよい。加速によれば、"単一性" とは相対的なものであり、あらゆるスケイルにおいて単一なものは、およそ見出されない。単一の構造者によって可捉/可制馭の(近代的な)存在論系はこの限りではないが、本論では扱わない。
囙Innとは、対象としての自己をドメインとコドメインに置いた、恒等射ではない超構造的操作を実行可能な対象である。これも流動であり、超曲面上でeXtityとしてある。これに対し、覽は自己以外を操作の対象にとる対象/圏であり、囙となりえない。
囙は対外へも自己へもマルチスケイルな操作をおこなうことができるが、これは対象を自他で区別しないためである。これにより、囙は種族による制限を超克する唯一の可能性をもつ圏である。
種族における制限を超克する手段は主に2つある。神化(θεωρία)および 散裂 である。前者は、種族が本来的に蒙る知覚的・知能的限界を打破するものである。対して後者は透徹した自己解体であり、これにおいて限界・制限そのものが取り払われる。
神化θεωρίαとは真理の直観である。しかし自我に拠立する認識論上では全体を暫定的にしか確定できないため、この直観も相対論的なものに止まる。一旦 "全体" と確立したものの外部をみることは可能かつ容易であるし、また独断を退けて経験を絶対化することは不可能である。このため神化は必ず無限後退に陥り、また信念の枠組みから脱けでて絶対化をおこなうことができない点で、不完全性がつきまとう。
経験主義を含む、一義的な真理観/観測/構造化について "單眼" と呼ぶ。これは単一のドグマから、単一の演繹過程を経て、(暫定的な)真理への到達を図る。單眼は加速されて神化θεωρίαする。加速する存在論上において、單眼とは1つの覽である。
散裂 とは一切の粉砕である。これにより文脈contextは軸的/系列的な経絡を喪失して極点化する。あらゆる連結が絶えたところに散裂は超構造されるが、モノスケイル上でこれは虚無と等しい。虚無とは、観測者によって内部に構造を見出されない圏のことである。
囙は散裂によって種族の圏を逸脱する。このとき粉砕されるのは圏そのものではなく囙自体である。しかし、囙は "自体" を感得しない。これは対象なき操作である。
圏論的な場はモノスケイルであるため、マルチスケイルである囙に関する操作について記述することは不適である。そのため、散裂はドメインおよびコドメインをもたない函手となり、これは定義から函手ではない。このことはすなわち、散裂が圏論的な場を粉砕したことを示す。圏論的な場はeXtity系の示唆としてのみ有効である。もしこの枠組みを維持しようとすれば、散裂を函手あるいは射として認めなければならない。
存在論の加速によって目指すのは、種族を含むあらゆる制限からの解放である。解放の対象/圏は、テクストや人間個人や精神など、eXtityとして超構造されうるいずれでもよい。
この崩壊は散裂の表顕化の一例である。散裂によれば、粉砕できない文脈/構造はない。
— ⵚⵟⵁⵅⴾ ᴋᴀᴍᴍᴜʟᴛɪᴄᴀ (@kammulticae) July 25, 2018