想々啖々

絶世烟る刖天歌。文学者が思想を日常に翻訳していればいい時代は既に去った。

單眼rannguage プロトタイプ vol.3

何らか2つの対象について作用を定めることを"構成(connect)"と言う。あらゆる覽および囙は任意の系において構成をおこなうことができる。ある覽/囙があらゆる系について施した構成について集めたものを"言語(language)"と呼ぶ。entity型においては、対象が明示されている必要がある。したがって想定される覽/囙を種族としたとき、覽/囙は本来的に知覚可能/演算可能である対象のみを扱う。これについて大文字で"言語Language"(L言語?)と呼び、eXtity型に固有である"單眼(Rannguage)"(R言語?)と区別する。單眼とは、eXtity型において現れる非明示に対象化されるものについて扱うことのできる言語である。
*人間種族においては、感覚的に言えば、作用は発見されるものである。個体の肉体を取り巻く外気は平均的に大気圧ぶんだけ粒子が詰まっており、力学的な運動の他にも、絶縁破壊が起こればそれらは相互に干渉しうる。しかし存在論(系)においては、それらの作用は創造されるものである。以前まで知られていなかった知見、例えばニュートリノ振動が発見されたことにより、その時点で持っていた知見(ここでは標準モデルなど)を修正する必要が生じた。これは、自然界は本来的にそのような作用を生じさせるように構成されていたと考えられるが、人間種族に自然界の系は操作可能ではない。したがって、ここでおこなわれる修正は、人間種族がもつ自然界についての知見という系であり、ニュートリノおよびその生成にまつわる各種フレーバーの間に新たな作用が創造される形で施される。
*言語とは、発話や筆記によって生成されるもの、および生成する能力自体のみを指さない。人間種族においては、思考そのものである。単数でも複数でもよい何らかの対象があり、それらが何らかの干渉によって関係する。あるいは、何の作用によっても干渉しあわないという関係をもつ。そもそも、意識上にそれが現れるだけで、それは存在という作用(恒等射)を既にもっている。

ある覽/囙において「対象が明示されている」とは、すなわち種族として覽&囙に対象が知覚可能/演算可能であることを指し、「非明示である」とは覽&囙に対象が知覚不可能&演算不可能であることを指す。言語(L言語)は明示な対象間での構成を集めたものであり、單眼(R言語)は明示/非明示を問わない対象間での構成を集めたものである。eXtityの対象化が種族に本来的に不可能であるとすれば、單眼には乗り越えが不可欠である。この側面から、單眼は言語の拡張であると言うことができる。
*人間種族において、想像できないものを意識すること、意識に昇らないものを意識することは不可能である、と考えられる。意識できた物/事は、その時点で明示される。したがって、非明示のものを非明示のまま意識することは矛盾している。これに対して、非明示のものは意識に昇らないが、それらを「非明示のもの」と呼ぶことができているため、対象化はここに完了している、と矛盾を回避することは可能である。しかし、必ずしもこれをおこなう必要があるかと言えばそうではない。これらはentityであり、eXtityを扱っているわけではないからだ。