要項:Æ
生物学の文脈において、自然環境に適応した/できた個体/種が通時的に生存/存続/残存[する | して子孫を残す]ことは"自然選択selection"と呼ばれ、同祖/同一系統内における、[周縁[に棲息する]生物種の変化を含む]自然環境の変遷への対応・生存に関する最適化については"進化"と呼ばれる。個体自身は変異transmutationの機会をただ自然から享けるのみであるという受動性からこれを「受動進化」と呼ぶとき、個体自身が意志や信念によって身体/素体へ変異の機会を与える「能動進化Æ」を措定することができる。
前提:人為technologicalと自然naturalは対立しない
一般的な語用において、"人為"は"自然"の対立概念である。しかしながらヒトも生物も一種であり自然の一部だとすれば、この対立は解消される。この文脈において「人為」とは、自然界の任意の物質材料について工学的な操作を加えた結果、対象の構造的な複雑性が比較的に高くなったこと(エントロピーが小さくなったこと)を指すに過ぎない。ここでは、工業廃水による水質汚染・排気ガスによる大気汚染は何も不自然なことではない。ヒト/人間は自然の一部であり、[人為 | 人間の営為]はすべて自然の営為に還元される(人為∈自然の営為)。人間の為すこと一切はnaturalである。
*巷間で"環境破壊"と言うときの"環境"は、ヒトが棲息していないような地球環境を指しており、実際に即さない。
端緒:一般的に"進化"と呼ばれる「受動進化」との対比
進化論は"淘汰論"とも呼ばれる。これは英語で言うところのselectionの感覚に近い。種の時間スケイルにおいて、自然環境では、[適応できない個体/種がひたすら屠られ | 屠られなかった個体/種だけが残存し]ている。[共時的な | ある時点での]生態系の内訳を出したとき、ここにリストされる種は自然界から[選ばれている | 生存を許されている]ように見えるのである。これが[延々続く | {実態には即さない表現だが}寸断的な選択が繰り返される]ことで、特定の時代での生存が地質学的な調査によって確認されたものどうしを繫げて得られるマップが生物学者の手にもたらされる。{地質学的な調査から知りうるかぎりの}生物進化の系譜、これを扱うものが進化論/淘汰論である。
本論は、語彙のうえで対立するはずの「退化」という語と、上の文脈における「進化」という語が何ら対立していないことに着目する。というのは、例えばA→B→Cと進化してきた生物種ⵇについて、現種ⵇ-Cの原種ⵇ-Bへの変異を確認し、さらに個体数のうえでもⵇ-Bへの変異種が支配的になった場合でも、「生物ⵇが退化した」という表現を用いるのは適切ではないことによる。
*あるいはまた、哺乳類の一種であるコウモリは、原種が視力を有していたのに対して現種がこれをもたないために「目が退化した」という表現が用いられることがあるが、これは語彙上の謬りである。単に「衰えた」と言うのが正しい。
手段:身体改造BodyModificationおよび...
能動進化においては、個体自身が進化の機会を握る。いまや、個体は自らの意志/信念によって変異transmutationすることが可能である。これは{{薬物投与や輻射線曝露などによって制馭しうる}伝統的な突然変異に則る}新たな遺伝形質の獲得であってもいいし、{工学的に}異物exogenonを自身の肉体に埋め込むembed/植え込むimplantことで新たな表現型を獲得してもよい{し、本質的に言って、肉体形質のみに拘る必要もない}。1つだけ言っておくべきことは、発生から何ら工学的/機械的な改造を施されていない素体blankが基準として想定/措定できなければ、進化も退化もないということだ。
*現状では、単に「ホモ・サピエンス」と指せばそれが素体として認められるだろう。
恵与:Æは何をもたらすのか?
例えば、Æは以下の2つのような身体改造を素体にもたらす。
- 最適化された生存:内臓萎縮手術(OAS: Organ Atrophy Surgery)によれば、消化器系を切除することで、無駄の多い摂食行為を抛棄することができる。
- (半)永久的な生存:生存することが解だとした場合、自然環境への完全な適応は永遠の生存を指す。
なりゆきとして、個体らがもつ「人間」という一枚岩の観念は瓦解し、ホモ・サピエンスは分化の一途を辿る。「私は人間だ」と宣言して生きている個体はそう多くなく、「あなたは人間だ」という他称を鵜呑みにしている個体がほとんどである。この先入観を崩すことはそう苦でもない。脳・四肢・臓器・皮膚・etc.それらの形状や質感のうえでの共通性を取り払われれば、残る砦は言語伝達だけだ。その地平では、「お前は人間だ」「お前は人間ではない」「そもそも人間とは何か、誰も定義することはできない」「私は人間ではない、クィアqueerだ」等々、個体のすべてを人間として回収しようとするイデオローグとまったく対等に、その回収に反発するイデオローグがFlatnessにおいて展開する。他称や習慣による隷属から解き放たれ、個体自身のもつ無数の自称の対立、すなわち闘争の自然状態がここに顕現することになる。
*これは、加速論の文脈において"Cathedral"や"Human Security System"と呼ばれるところの、あらゆる個体を圏-人類の成員として束ねている観念的な従属装置の破砕を意味する。
The etymology of the word ‘evolution’https://t.co/Gc62vAMYsX
— ⵚⵟⵁⵅⴾᴋᴀᴍᴍᴜʟᴛɪᴄᴀ✡️ (@kammulticae) 2018年11月23日
ダーウィン『種の起源について(On the Origin of Species)』では、"evolution"ではなく"transmutation"という語が用いられている。A.D.2世紀Aelianusの軍事戦略と訓練に関する書(希語)の訳文で初出→
日本語の「自然」にはnatureともう一つ、「自ずから」とゆう意がある。後者は、natureとゆう主体を想定することなしに、大局・個体が変異/遷移するさまについて言う。
— ⵚⵟⵁⵅⴾᴋᴀᴍᴍᴜʟᴛɪᴄᴀ✡️ (@kammulticae) 2019年3月7日
2019/02/20/22:28 最終更新